「来し方を顧み、行く末を思う:20世紀についての省察」
アンドリュー・フィーンバーグ(サンディエゴ州立大学文芸学部哲学科)
エドワード・ベラミーは、1888年に『顧みれば:2000-1887』と題する予言的なSF小説を出版した。不眠症の主人公は、催眠術によって地下室で眠り続け、自分の家が丸焼けになったにもかかわらず、生き残る。彼は、焼け跡でも発見されず、一世紀以上にもわたって仮死状態でまどろみ、ついには社会主義の理想郷へとすっかり変貌した2000年のボストンで目を覚ます。この本の大部分は、新たな環境に対する彼の戸惑いと、彼を迎えた主人による理想社会の仕組みにかんする明晰な解説とにあてられている。
ベラミーの著書は、今では専門家を除いてすっかり忘れられているが、19世紀の終わりから第二次世界大戦にかけては何百万人ものアメリカ人に読まれ、瞬く間に時代を超えたベストセラーの一冊に仲間入りした。この本は、合理的な社会における希望のありかたを数世代に渡って読者に語りかけてきたのである。
ベラミーの名著が世に出てから50年と経たない1932年、オルダス・ハックスレーは、『顧みれば』に対する反駁の書ともいえる『すばらしい新世界』を書き上げた。ハックスレーの本の冒頭には、ロシアの哲学者であるベルジャーエフからの陰うつな以下のような引用が掲げられている。「理想郷はかつて信じられていたよりもはるかに実現可能なようにみえる。」ベルジャーエフはさらに続けて、「知識人や教養ある階級の人たちが、理想郷を回避する手段や、『完璧』にはほど遠いより自由で現実的な社会に戻る手段を夢見るであろう新しい世紀が始まりつつある。」
『すばらしい新世界』は、『顧みれば』とは異なり、今なお多くの人々に読み継がれている。それは、後に登場する多くの「暗黒郷(ディストピア)」文学の原型である。暗黒郷とは、全体が合理化された社会秩序のフィクションであって、そこでは「シロアリに似た人間を再創造するという試みが、極限まで推し進められる。」(Huxley, 1958: 24)すなわち、かつてマーシャル・マクルーハンが指摘したように、人間は「機械の世界における生殖器」になるのである。
われわれは、今、文字通り20世紀を「顧みる」ことができる。しかも、その際、ベラミーの理想郷とハックスレーの暗黒郷との対比は誤りがどこにあったのかを反省するうえで有効である。そして、何か非常に重大な間違いが引き起こされたことは明らかであり、その結果、19世紀後半の人々のまっとうな希望に混乱がもたらされたことも明らかである。人々は道徳的、社会的進歩が技術的進歩と歩調を合わせながら実現するものと期待していたのだが、実際には、あらゆる進歩は、まさに人類の生き残りをも疑問視させる大きな惨禍を伴ってやってきたように思われる。
いったい何が起こり、そうした希望を打ち砕くことになったのか。もちろん、2つの世界大戦、強制収容所、ロシアにおける社会主義の逸脱、最近では、次の世紀へと持ち越される大量虐殺の憎悪、環境汚染、核戦争の脅威といった20世紀の出来事をわれわれは十分指摘することができる。だが、人々の耳目を驚かすこれらの出来事や光景の底にはもっと根の深い誤りが存在しているのに違いないのであって、そのため、ベラミーによってあれほど巧みに描かれたユートピアは、そこへつながる希望に満ちた道を閉ざされてしまったのである。われわれの問題関心は、この根の深い誤りに向けられている。
この問題は、欲望や暴力の勝利を導いた、人間のあるいは近代という時代の精神的な問題性という観点から、しばしば議論される。しかし、ベラミーにとっても、彼の時代においても、人間の心に潜む欲望や暴力、飽くなき欲求、傲慢、そして憎悪の存在は、周知の事実であった。当時の人々は、われわれと同じ程度に、生の本能と死の本能との間の葛藤を考えていたのである。この二つの本能の微妙なバランスが、希望の余地を、さらに言えば、より良き未来の到来を確信をもって予言する余地を、ベラミーの同時代人に依然として残していたのであり、変化したのは、人間あるいは近代という時代に対するわれわれの評価ではなく、その本能の微妙なバランスを狂わせた技術的な環境のほうである。
われわれは、2000年の社会にかんするベラミーの記述に何が欠けているのかを検討することから始めて、この技術的な変化を理解することにしよう。彼の描いた世界は完全に工業化された世界であり、そこでは最も骨の折れる仕事はすべて機械が行っている。生産性はいずれに関しても満足すべき水準にまで達している。労働者は「産業隊」に徴兵され、そこでは、専門家の指揮の下での厳格なヒエラルキーと均一な賃金制度とが結びついて、技術的な必要性と倫理性の要請に応えている。労働者は、通常の学校教育を終了するにあたり、短期間、マニュアル労働を経験した後、自由に仕事を選択する。あまり魅力的でない仕事に対しては、労働時間の短縮が許されるため、労働供給は労働需要と自動的に釣り合う。労働者は45歳で退職し、個性の陶冶と完全な市民生活に必要な義務の遂行とに打ち込む。それらは退職と同時に開始される。
ベラミーが描く理想郷では、集団主義的な要素が随所に見られるが、逆に、社会の構成員は高度に多様化した個人として描かれており、各人は、時代の先端技術によって手にすることが可能になった豊かな余暇時間の配分を十分に活用して、各自の思想、好み、能力を発展させている。趣味、新聞、音楽や芸術、宗教、いわゆる「生涯教育」、そして、政治への民主的な参加などを自由に選択することを通じて、豊かな個性が花開く。
こうした活動が、産業隊によって組織されることはない。それは、これらの活動がいずれも科学技術的な基盤を持たず、したがって、これらの活動には、専門的な管理に際して求められる技術も、正誤や善悪を判断する客観的な基準も存在しないという単純な理由による。これらの活動は個人の創造性に依拠するから、ベラミーの説明によれば、そこには、工業技術をきわめて生産的なものにする規模の経済が登場する余地はない。
したがって、ジャーナリズム、宗教活動、あるいは芸術的な創作を通じて、公共の場で活動しようとする人々は、自分たちの活動に対する「支持者」を十分に集められ、それによって通常の労働者の賃金と同額の国家報酬を受けとることが認められるのであるならば、産業隊から除隊する。国家は、これらの文化的創造者に対してその活動内容の如何に関わらず、印刷用紙などの基本的な資材を提供する。
この想像上の社会主義と、ベラミーの本が出版されたほんの数年後にソビエト連邦で樹立された現実の社会主義との根本的な違いは、誰の目にも直ちに明らかになった。ベラミーが描いた社会は二極化しており、半分が科学技術的な理性によって組織され、半分が人間形成、つまり自由と個性の内省的な合理的追求に励んでいる。だが、この二極化は、20世紀の社会主義においてもまた資本主義においても、実際には起こらなかったことである。むしろ、合理的な組織、少なくとも社会学的な意味での合理的な組織が、あらゆる社会的な領域にその触手を伸ばし、あらゆる分野で、とりわけライフスタイルや政治にかかわるあらゆる問題で、産業社会の構成員を技術的コントロールの対象へと転化させた。
ベラミーがどれくらい正確に大衆社会を予見できていたのか検討してみることは、興味深いことである。彼は、電話の接続件数がまだ数千台しかない時代に、電話による放送システムを考えていた。それによって説教や音楽会が広まるであろうと彼は予言していたのである。各家庭にはリスニング・ルームがあり、定期的にプログラムが発行される。家庭内での演奏会は放送によるプロの演奏に取って代わられ下火になるであろうということさえ、ベラミーには分かっていた。彼の推測は、ここまでは驚く程に予言的である。だがベラミーは、商業的、政治的なプロパガンダに支配された膨大な数の視聴者の出現については全く予期していなかった。その時代の小規模な出版物、個人の芸術作品、さらには私的な宗教活動が、将来、社会の片隅へと追いやられされ、彼が社会生活の究極的な目標とみなした個性の形成という活動を人々が持続できなくなることについて、彼は疑うことさえしなかったのである。
彼の生きた時代、宗教的であると同時に世俗的でもある高級文化には人々を穏健にし啓発する効果があった。そのため、より十分な教育と余暇の供給を通じてその影響の及ぶ範囲を拡大することで、社会的進歩は約束されていたのである。彼の考えでは、コントロールと標準化の追求は依然として自然との闘争の部面に限られていた。ノーバート・ウィナーが「人間機械論 the human use of human beings」と呼んだ事態には、思いも及ばなかった。しかし、公的意識の世界では、高級文化は、際限のない物欲と凶暴な政治的情熱とにうつつを抜かす大衆文化に取って代わられ、そのことがこうした希望を打ち砕いたのである。20世紀に大衆的受け手が産み出されたことによって、技術の応用による規模の経済を通した効率性の追求という産業パターンが定着した。
一方、『すばらしい新世界』は、民間のラジオ放送が初めて流された直後に書かれたこともあり、メディアを通じた大衆操作の行く末をわずかではあるが予見していた。現代的な広告活動や大衆的支持を集めた独裁政権の台頭が、ハックスレーの想像力を刺激したのである。彼は、単純に、この新たな社会形態の出現から全体が合理化された社会秩序を推測したため、彼が描く人間は、巨大なメカニズムの中の単なる歯車にすぎなくなった。『すばらしい新世界』では、合理化が極端に誇張され、人間は、技術の対象として原材料や機械と全く同じ次元にまで引き下げられている。たとえばマックス・ヴェーバーの悲観的な社会理論や、マルティン・ハイデガーの影響を受けた様々な技術哲学など、20世紀の多くの思想の根底には、これと同じ世界観が横たわっている。
ハイデガーは、「立て組 enframing」という概念を用いて、すべてのものが例外なく技術の対象とされてきた状態を表現しようとする。今や事物は、整然と計画され体系的にコントロールされた秩序の中での機能的役割によって定義される。すべての存在は技術過程における原材料にすぎない。何事も、役割を意識されない限り、存在すら許されないのである。世界を開示する存在という人間固有の地位が完全に否定されたところでは、意味の完全な欠如が差し迫っている。ハイデガーなら、今日われわれが目にする世界を本来の意味での「世界」とは認めないであろうが、この点を除けば、ハイデガーを『すばらしい新世界』の哲学者とみなすこともあながち間違いではない。確かにわれわれは、われわれ自身をも含め、「目的を持たない」代替可能な一連の素材にとりかこまれているのである。
彼の深刻な悲観論とある意味での道徳的な無神経さは、彼の衝撃的な発言に表れている。それによれば、「今や農業は、機械化された食品産業と化しており、本質的には、ガス室や絶滅収容所における死体の製造と同じであり、国民的封鎖や国民的飢餓と同じであり、水爆の製造と同じである。」(Rockmore, 1992: 241に引用されたハイデガーの発言の大意)
ハイデガー以降、多くの哲学者が、現代社会に対する同様の悲観論を展開した。フランクフルト学派の哲学者ヘルベルト・マルクーゼの場合、ハイデガーの生徒だったこともあり、彼の「一次元的社会」への批判は、マルクス主義の外観をとりながら、多くの面でハイデガー的な批判を受け継いでいる。ハイデガーは、手工業と現代技術とを明確に区別した。手工業は完成品を作り出すことでその材料の「真理」を引き出すのに対し、現代技術は対象を機構に組み入れて、一つの意思と一つの計画のもとで対象を全面的に作り変えてしまうからである。マルクーゼの場合、このハイデガーの方法論が本質的には変わることなく継承されており、それは、適切な技芸または技術を使うことによって引き出される事物の内在的な可能性と、事物が現代の技術的な生産の中で原材料として従属させられ、また関連をもたされている外在的な価値との違いとして述べられている。そしてハイデガーと同様、マルクーゼも、後者の面が人間自身に対してますます当てはまりつつあることを嘆いている。
しかしハイデガーとは異なり、マルクーゼの場合、人間や自然の潜在力を重視する新しい技術は創造可能であるとする点で、たしかにあまり期待はできないにしても、原則として含みを残している。これは「解放の技術であり、搾取や苦役なき人間世界という社会形態を自由に企画設計した科学的想像力の産物であろう。」(Marcuse, 1969: 19)
以上は、私が暗黒郷の技術哲学と名づけたものであり、いまだに極めて強い影響力を持っている。ジャン・ボードリアールやポール・ヴィリリオといったフランスの現代思想家たちは、自分たちが認めているよりはるかに強い影響をこれら先達たちから受けている。同様に、アルバート・ボーグマンといったアメリカの技術哲学者らも、こうした影響のもとにある。基本的には、彼らもまた、自分たちが身を置くすばらしい新世界に不満を感じている。しかしながら、20世紀も終わりに近づくと、暗黒郷という見方はほとんどその権威を失った。近代という時代への批判は、懐古趣味的なあこがれと見なされるようになった。それは、永遠に失われた過去を求め、そして、いずれにせよそれほどすばらしいものではなかった過去を求める懐古趣味だというのである。この見解によれば、われわれは、われわれを取り巻く技術的な社会に完全かつ全面的に所属しているのであって、「人間」あるいは「現存在」がその道具から独立して認知を受けるような社会があるわけでもなく、そのような社会を心待ちにするべきでもない。
ブルーノ・ラトゥールやドナ・ハラウェイといったノンモダンあるいはポストモダンの思想家たちは、『いまだかつて近代であったことない』「サイボーグ宣言」といったタイトルの著書や論文に多大なエネルギーを傾注して、この新たな見方を推し進めてきた。まさにこれらのタイトルに盛られた表現こそ、新たなミレニアムの議題設定を告げている。われわれは、暗黒郷の経験を経て、それとは反対の局面に至ったのである。今や、技術に対するわれわれの熱中ぶりはかつてない水準にまで達している。もはや技術に反対するどころか、われわれはいくぶん未分化な「サイボーグ」自身の中で技術と一体化している。この「サイボーグ」というアイデンティティによって、「政治学で連帯と呼ばれる結びつきの網の目が生みだされ、認識論でいう会話の共有が生まれるであろう。」(Haraway, 1991: 91)技術に対する防御的抵抗を取り止め、そして、技術を最終的に受け入れたうえで今後の技術の発展をより良い方向へと導いていくことが、今やわれわれに課せられた義務である。
インターネットが、こうした非暗黒郷的な考え方への関心を幅広く喚起するうえで不可欠な社会的背景を提供した。もちろん、著者たちはその思索を深めるのにオンラインにする必要は無かったが、現在、彼らの斬新な考え方の信頼性は、コンピュータ・ネットワーキングの出現や、それが生みだす主体性の新たな機能の如何にかかっている。コンピュータを通じたインターアクションの経験が広まらなかったならば、彼らの影響力は、研究者仲間の狭い範囲に限られていたことであろう。だが、そのような経験を前提にすることで、彼らは、人間と機械との関係が敵対から共同へと根本的に変化したことを強調しているようである。21世紀はますますこうした影響が強まると思われるから、このことは目下の研究課題にとって重要である。
ネットワーキングからなぜ暗黒郷の意識が生まれてこないのだろうか。テレビやラジオの視聴者の場合に見られる受身の態度ではなく、オンラインの主体は、選択をしたりあるいはコミュニケーションに応答したりすることによって、つねに「相互作用」を求められている。媒体に対する、さらには、それを通じた他のユーザーに対するこの相互作用の関係は、非階層的で人間解放的であるようにみえる。近代の物神とでも言うべき自動車と同様に、インターネットは、将来の展望を閉ざすのではなく開くのである。だが自動車とは異なり、インターネットは、単にある場所から他の場所へと個人を運ぶのではなく、参加を行動原理とし、そして技術によって個人のイニシアティブを抑圧するのではなく支援するような「仮想」世界を作り上げた。このことは、「私のヤフー」や「私のMP3」といった「私の」という代名詞を用いた表現がインターネット上に急増していることを説明する。
注目に値することであるが、このネットワークの発達は、それを情報の流通システムとみなしていた元のデザイナーよりも、ユーザーによるところが大きい。インターネットが私的なコミュニケーションの媒体になることによって初めて、真の革命が起きたのである。こうしたインターネットは、接続の切り替え可能なシステムであり、電話と同じように、そのシステム内では、通信を運営している巨大企業ですら伝達されている内容を全く管理できないのである。英語で「コモン・キャリア(公共輸送人)」と呼ばれているそのようなシステムは、集会の自由を拡大し、それ故、本質的に人間解放的である。
それに加えて、コンピュータ・ネットワーキングは、リアルタイムあるいは非同期的にグループ・コミュニケーションを支援するものであるから、インターネットは、教育活動から趣味の交流、さらにはデートのパートナー探しに至るまで、多岐に渡る社会活動の主催者となることができる。これらインターネット上の社会活動は、参加者の言葉から作り上げられた仮想世界の中で繰り広げられる。実際、インターネットの「書き込まれた世界」は、人間と機械の融和がもたらされる場である(Feenberg, 1989)。
このあたりで、一言ご注意申し上げたい。情報ハイウェイにかんする熱に浮かされたような議論は、予想通りの内容であり、しかも退屈なものである。すぐに、ある程度正当な根拠に基づいた懐疑の念をよび起こした。誰もが在宅で仕事ができ、自分の本を出版し、多様なアイデンティティやジェンダーを選択し、人生のパートナーを探し求め、電子モールで個人向けの商品を購入し、さらには、空いている時間を利用して49.99ドルで大学教育を修了するというのだが、そんなことが可能になる、完全な透明性を備えた、リバタリアンの社会という夢が、21世紀に実現するとは考えられない。このような見通しを疑ってみることは理に適っている。結局は、誰かが選択肢のリストを作成し、ユーザー相手に金儲けをするのである。したがって、その選択は、経済的あるいは政治的な意味で真に自由であるというわけではない。暗黒郷の立場に立つ批評家はこの時点で、より洗練され、より偽装された形で個人が機械に組み込まれているにすぎないことに気づく。
インターネットは、間違いなく社会にインパクトを与えるであろうが、全てのものに革命をもたらすわけではない。インターネットを産業革命になぞらえるのはばかげたことである。産業革命は、ほとんどすべての人を農場から引きずり出し、全く異なる都会的環境へと投げ入れた。過去20年にわたる仮想空間への私の「移住」は、祖先が経験した田舎から都市への移住には例えられない。インターネットよりもはるかに革新的な何かが生まれない限り、21世紀は、われわれの世界の連続線上にあり、決定的な断絶をもたらさないであろう。インターネットの真の意義は、新しい時代の幕開けを告げるという点にではなく、インターネットが現在の発展段階における社会的技術的な変化に何をもたらすのかという点にある。
問題は、あたかも技術自体にその力が備わっているかのように、インターネットがわれわれを解放してくれるかどうかではなく、ネットワーキングがもたらす、公共組織や公共活動の条件をめぐる微細な変化である。この変化は、断続的で困難を伴いながらではあれ、新しい媒体の登場以前に、すでに始まっている。われわれが暮らすような社会では、技術的な意思決定が極めて重要であるが、インターネットは、その意思決定に介入する人々の能力を向上させる筈である。このことは、技術発展のもとでの民主主義の根本的な構造変化に関係する。
近代社会の人々が政治的には従来の空間的地域区分に限定されている限り、技術的な分野への人々の影響力は非常に限られている。地理的な境界線を縦横にこえる技術、例えば、新薬の開発や食糧生産の新しい方法などにかんして、地域共同体に何ができるのであろうか。原則的に言って、「公衆」は、そのような変化について批評し、そのような変化に民主的な影響を与えることが可能でなければならないが、そのような「公衆」とは、地域的に限定されたものではない。公衆は、特定の技術を媒介にしたサブグループに細分化されている。ほとんどの場合、公衆は、工場労働者であれ事務職員であれ、生徒であれ、患者であれ、兵士であれ、あるいは食料雑貨店員であれ、そうしたサブグループを通じてのみ技術的な領域で活動することが可能である。
伝統的な政治の世界で用いられている地理的に区分された構成単位は、最終的には、法律や規則に基づいた意思決定を通じて、技術を媒介にした様々なサブグループの統合をもたらすこともありうる。だが、普段目にする政治の世界では、技術的なネットワークの接続に続いて繰り広げられる闘いの第一ラウンドの結末は、たいてい次のような形で落ち着く。残念ながら、技術にかかわる領域で活動する公衆は、細分化されることによって、政治的に無力になることのほうがはるかに多いのである。
この状況の重要性についてはすでにジョン・デューイが認識していた。彼は、初期の頃、参加と代議制の両立の問題について明言しているが、その指摘は今日でも当てはまる。実際、ロールズやハーバーマスといった現代の政治思想家たちも、技術の問題にかんする思想の洗練さにかけては、はるかデューイに及ばない。デューイは、1920年代にすでに、「機械の時代」に民主的な制度を適応させるため、根本的な変革を求める議論を行っていたのである。デューイは、近代社会の極端な社会移動が地域共同体の崩壊をもたらすとみなしていた。その一方で、技術システムの進歩によって生み出される新しい絆は、いまだ明確な姿を現していない。デューイはそのジレンマを次のように表現している。
共同行為や相互作用の間接的で広範囲にわたる永続的かつ重大な結果を通して、これらの結果をコントロールすることに共通の利害を有する公衆が生み出される。しかし、機械の時代は、コミュニティーの基盤ではなく非人格的な基盤にもとづいて、その間接的な成果の及ぶ範囲を押し広げ、多様化し、活性化し、複雑化するために、さらには、きわめて巨大な統合された組合が組織され、活動を開始するために、結果として生まれる公衆は自らを識別することも区別することもできないようになる(Dewey, 1980: 126)。
デューイは、現代技術によって可能となる自由な国際規模のコミュニケーションがある程度この問題を緩和し、地域共同体の再生をもたらすのではないかと、希望的に見通していた。しかし、彼は依然として、二つの問題−−技術の未来形としての大規模な技術システムと、民主的な討議の場としての地域共同体−−のジレンマに悩んでいた。地域共同体に対してデューイのような希望を持たない人たちは、組織や技術システムがますます自分たちの生活を決定し、それらに対して個人が影響力を発揮できない状況を目の当たりにして、最終的には、暗黒郷の結論を引き出したのである。
インターネットの出現によって、技術を通じて特徴づけられるサブグループははるかに自己認識を行ったり結集したりすることが容易になり、デューイが抱いた夢、すなわち、公衆が自らを形成している技術的媒介に自ら関与することが最終的に可能になる。もちろん、インターネットそれ自体は必ずしもこの発展に不可欠だというわけではなく、技術のたんなる存在はどんな特定の使い方をも保証しない。コンピュータ・ネットワークが登場する以前にも、原子力、環境汚染、エイズといった問題をめぐって、技術的公衆が出現していた。これらの場合においても、あれこれの技術的ネットワークに参加した人たちは、自分たちの要求を貫くために互いに結びつき、そして、重要な政治的技術的な変化を実現させてきた。だが、これらのケースのまさに例外的な性格と、そして、広大な地域に分散している活動家たちの長い鎖をつなぎ止めておくことのただならぬ困難さとが、インターネットの重要性を際立たせている。シアトル、ワシントン、そしてプラハで行われたIMFに反対するデモは、その意味でもインターネットの威力を見せつけた。医療、教育、さらには環境といった分野でも、同じことをより強く期待することができる。繰り返して言えば、このことは、インターネットがわれわれを解放するであろうと主張しているのではなく、デューイを悩ませた問題、つまり、地理的に分散させられた技術的公衆が自分たちの利害関心を明確に表明することができないという問題、この問題への取り組みがインターネットによってかなり容易になるであろうと主張しているのである。
われわれが確認してきたように、インターネットは、人間と機械との調和のとれた共存という考え方を支持する。だが、これらインターネットの政治的な利用は、現代の技術社会のもう一つの問題に人々の目を向けさせる。技術とは二面的な現象である。一方では機械を操るオペレーターが存在し、他方では対象が存在する。オペレーターと対象とが共に人間である場合には、技術的な行為が権力の行使と結びつく。さらに、社会が技術を軸に組織される場合には、技術的な権力が社会における権力の主要な形態になる。これは、技術が暗黒郷を可能性として含んでいることを意味する。マルクーゼが一次元性という概念で事態を把握したのは、正義、自由、平等などの伝統的な概念によってこの暗黒郷のシステムを批判することが困難だったからである。だが、技術的な権力の行使は、一次元的なシステムに内在した抵抗を呼び覚ます。技術の発展は、人間と自然の欲求を無視した場合、つねに社会的な緊張を爆発させるのである。技術的公衆が声を上げた時、こうした緊張はデザインや組織の変更を求めて表面化する。こうして暗黒郷は、未曾有の規模で展開される民主化運動を通じて、克服されるのである。
ミシェル・ド・セルトーは、こうした緊張について興味深い説明を行っている(De Certeau, 1980)。彼は、権力行使のための制度的な基盤を持つエリート集団の「戦略」と、その権力の被支配者であり、継続性と合法性とを行動基盤に欠いているため、ミクロ政治的な抵抗を策略的場当たり的に行うしかない人たちの「戦術」とを、明確に区別する。技術的なシステムは、人間に対して技術的な管理を押しつける。ある者は管理し、ある者は管理される。こうした二つの立場は、ド・セルトーの言う戦略的な立場と戦術的な立場とに対応する。
これら二つの立場からは、世界がまったく違って見えるであろう。戦略的な立場はシステムの立場である。この立場は、コントロールと効率を最優先に配慮し、調和という観点から世界を眺める。まさにハイデガーが技術にかんして批判した通りである。戦術的な立場の方が、はるかに豊かである。その立場は現代社会の日々の生活世界であり、その世界の中では、ちょっとした工夫がほぼすべての環境を形作っている。この環境の中では、一人一人が意味を見出し、それを追求しているのである。ほとんどの相互作用において、権力が危機に瀕するのはごくまれであり、その権力が無理強いされた場合には、システム内の個々人の立場からの抵抗ははかなく、その抵抗の範囲も限られている。だが、個々の大衆が技術システムに組み入れられている限り、こうしたシステムの限界を巡って抵抗は不可避的に生じるであろう。これらの抵抗は、未来のシステムやそれが生みだす製品のデザインや構成に圧力となって重くのしかかる。
技術に対するこの二面的な解釈が切り開くのは、ハイデガーあるいはマルクーゼの理論よりも現代社会を見抜くことが可能な技術の政治理論である。彼らは、技術を非難しながらも、技術に対する戦略的な立場を無意識に採用している。彼らは、技術をコントロールのシステムとみなし、生活世界として技術の役割を見落としている。そのことが、彼らにあれ程までに否定的な判断を下させた原因であり、ナチズムによって技術に対するわれわれの関係を上から神秘的に作りかえてもらうことで自分の計画が遂行されるのではないかと、ハイデガーに希望を抱かせた究極的な理由である。
技術的社会の研究に生活世界というパースペクティブを導入することによって、今日のポストモダンあるいはノンモダンの思想家たちが描いた構図が完成する。彼らは、技術に対する新たな適応のなかで暗黒郷を超越しようとする。抵抗という人間的な判断基準を持たない限り、彼らの理論は技術的な秩序の無批判な受容へとつながる危険がある。システムとしての技術と生活世界としての技術との間の矛盾は、技術的に発展した社会にとって根本的な問題である。内在的な緊張の原理はこの矛盾により機能する。この原理は、新たに出現した、技術をめぐる公的分野での闘争に対して人々の注意を喚起する。
19世紀後半から20世紀前半にかけての理想郷や暗黒郷という見通しは、ほとんどの社会関係が技術によって媒介されるという全く新しいタイプの社会が現れるに際して、そこにおける人類の行く末を占う試みであった。だが、そのような媒介が人間自身から労苦を取り除き、人間を豊かにするであろうという希望は失望に変わった。人間を機械に組み込むことなしに、技術的なコントロールを拡張することは不可能である。しかし、暗黒郷の立場に立つ人たちは、次のことを理解できなかった。いったん機械の内部に入り込めば、人間は新しい力を獲得し、それによって自分たちを支配しているシステムを変革することが徐々に可能になるし、またそうするであろうということを。今日われわれは、そのような技術の政治学が生まれるかすかな兆しを目にすることができる。それがどの程度まで進展しうるかは、予測の問題ではなく、実践の問題である。
参照文献
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